人工的な光の中にいるということ
2019年05月14日
照明がある場所にいられる?
僕の病気「中枢性羞明」のわかりづらい症状のお話です。
この病気になった後でも、
たまには夜にレストランへ行ったりすることもあります。
もちろんそこには“照明”もついているので、それなりに明るい場所だったりします。
そんな時、友人に 「あれ…この照明は大丈夫なの?」 と聞かれたりします。
別に悪意があるわけでもなく、普通に疑問として浮かんでくるのだと思います。
そのあたりのことを例えで説明してみたいと思います。
鉄アレイを持ち歩くように
あなたは30㎏の鉄アレイを持ち上げられますか?
多分頑張れば持ち上げられると思います。
じゃあ、その鉄アレイをカバンに入れて毎日持ち歩けますか?
仕事に行くときも、遊びにいくときも、どんな時でも
あなたのカバンには30㎏の鉄アレイが入っています。
まぁ無理ですよね。
そうです。
「頑張って持ち上げる」と
「普通に持ち歩ける」には大きな違いがあります。
僕が明るいレストランでご飯を食べているときは
なんとか鉄アレイを持ち上げているような感じです。
頑張ればなんとかなります。
しかし当たり前ですが、
頑張りすぎるとリスクがあります。
鉄アレイを持ち続ければ、後で筋肉痛があるように、
僕が光の中で頑張り続けると、体調不良がおきます。
当然ですが、普通の人みたいに明るいところに長時間いたり
スマホやテレビを見たり、そういう行動は
僕にとっては「鉄アレイを持ち歩く」ような行為です。
それを続けることは不可能なのです。
あくまでもこの例えは、筋肉が凄いとかの例外はナシで、
一般的な人ということでお考え下さい。
本当にマニアックな病気というのは
症状すらニュアンスが伝わりにくいので、説明するのが大変です。
なんとなくでも汲み取って頂ければ幸いです。
そして、自然光があるところは
僕にとって、本当に貴重な居場所です。
朝から日が暮れるまでの時間を、こんなに切実に大切に思う日が来るとは。
今日も太陽に、青空に、大きな窓のある場所に、感謝です。
(このブログやSNSは妻が代筆しています)
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