45歳の作文

45歳の作文

今日で45歳になりました。

思えば病気になってからのこの一年は
「病気を治して前の元気な自分に戻りたい」ということしか考えていませんでした。
この病気と付き合っていく人生なんて考えたくもありませんでした。
本当に怖かったんです。

もちろん今でも治すことを諦めた訳ではありません。
しかし段々、現実と向き合って生きていかなければいけないことにも気付きました、
というか気付かざるを得ません。

本当は嫌だけど、
病気と共存する僕の第二の人生はどうすべきだろう?

基本的に僕はエンターテインメントの仕事しかしたことがありません。
それが好きですし、関わっていきたい。
ただ人工的な光がダメとなると、なにが出来るだろう?
すぐにはわかりません。

考えてもまとまらないので、
とりあえず決意表明的な「作文」を書いてみようと思いました。
そしてメロディーを付けて歌にしてみようと考えました。

作詞作曲は光も見なくていいし、夢中になるので良い気晴らしになりました。
そして、曲が出来たので「作文45」とタイトルを付け日中の公園で歌ってみました。
まだ外で歌うには寒かったですが・・・。

沢山の方から誕生日お祝いメッセージを頂いていると妻に聞いています。
また僕と同じ様に難病をお持ちの方からメッセージも頂いていると聞いています。
感謝しております。

少しでも共有して励ましあっていきたい、
そして原因不明の難病で苦しんでいる人が沢山いるのだと知ってもらいたい。
そんな風に思います。

「作文45」
「作文45」作詞・作曲 矢野康弘(やのっち)

(このブログやSNSは妻が代筆しています)

    2019/05/10   ブログ, 音楽   

これまでのコメント

  • 地曳 頼子 より:

    すみません、途中で送信してしまいました😖
    私達も惜しみ無く協力したいと思います。
    医療もどんどん進化するなか
    早くこういう難病に対処できる治療が開発されていくことを心から願ってます🙇
    福のリンパ腫も完治の望めない病でした。
    医療は此れからの進展が一番望まれるものですね。
    どうぞご自愛ください❗

  • 工藤裕之 より:

    2011年からずっと鬱で苦しんでいます。
    一昨年の夏に桑研の事を知り、作業着のまま電車に飛び乗り渋谷に向かいました。
    初めて見るやのっちのステージは僕の中の何かを癒してくれた。
    1曲ごとに涙が出てしまい、トークで和ませて頂きました。
    毎月の第二金曜日の夜が楽しみになり、妻と渋谷に通いました。
    桑研のおかげで楽しみも出来、調子が良くなってきたのに、矢野さんが病んでしまうとは!人生は山あり谷ありですね。
    小さなライブはされているようなので、情報があれば知りたいです。
    また、元気なステージを見たいです。
    お互いゆっくりと頑張りましょう。
    調布市 あいりゅう

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45歳の作文 もう一度、光の中へ戻れる日まで

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