あれはかなりの衝撃を受けました。
2019年05月23日
あの日のことは、一生忘れられない
2018年1月22日
その日は朝から雪がちらつく寒い日でした。
僕と妻は有名な医者に会うため御茶ノ水まで車で向かいました。
病気の症状が出てから、
一体自分の身に何が起こっているのか検討もつきませんでしたので、
数ヶ月も取れない予約を待って、
ようやく迎えたこの日を心待ちにしていました。
そこで僕は先生から衝撃の事実を聞かされました。
・目の病気ではなく脳の病気と考えられていること
・現代医学では原因も治し方もわからないということ
・少しでも症状を和らげるような薬もないこと
・とても珍しい病気であるため国の制度を利用しづらいということ
・この病気にかかると仕事が出来なくなるケースがほとんどで生活に困窮していくということ
・先生自身は治った人を見たことがないということ
よく皆さんもドラマとかで
お医者さんから余命宣告されるシーンを見たことがあると思います。
一度は自分に置き換えてみたことがあるでしょう。
もしもそれが自分だったら・・・。
それはとても厳しく悲しい現実です。
ただ僕はこの日知りました。
世界中の誰もが、
頭が恐ろしいほど良く、努力もして、日々研究に邁進している
そんなお医者さん達や研究者さん達が
束になっても解明できない。
そんな病気に自分がなってしまった・・・。
それがどれだけ恐ろしいことなのか。
先生は最後に僕にこう言いました。
「何もしてあげられなくて申し訳ないですが、
一つだけお伝えできるとすれば・・・
あまり考えすぎて落ち込まないで下さい。」
まさかの「励まし」!?
今までお医者さんから言われたことのない言葉を聞いて愕然としました。
これからどんな症状があらわれても、
もう医者を頼りにすることは出来ない、
何故なら、彼らはこの病気を「知らない」から。
乱暴な言い方をすれば
その点では素人である僕と同じ立場ということだ。
診察を終えた後、僕は考えました。
あまりにもショックだ、ショック過ぎる、
僕はこれからどうしたらいいのだろう?
そこで、とりあえず今日は
自分を奮い立たせるパワーが必要なので
「高級焼肉を食べよう」ということになりました。
腹が減っては、という言葉もあるので。
病院を出ると、朝は小雪だったのに
昼過ぎには大雪になっていて
信じられないぐらい積もっていました。
結局、交通渋滞がひどく
御茶ノ水から川崎の自宅まで10時間かかってしまいました。
当然帰宅したのは真夜中なので
焼肉屋はどこも閉まっておりました。
頼みの綱である「安楽亭」さえもやっていませんでした。。。
悲しい、悲しすぎる。
神は僕の「焼肉が食べたい」という
ささやかな願いさえ叶えてくれなかったのです。
まぁ、次の日に食べたんですけど。
(このブログやSNSは妻が代筆しています)
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